無為自然か

老子無為自然はとても解釈の分かれる言葉のようだけど、私の理解では、何もしないでなりゆきに任せるという意味でもなければ、運命のままにしかならないのだからとあきらめることでもない。
物事の大きな流れに逆らっても思うような結果は得られない。
手を離せば物は下に落ち、水は下に流れ、人は楽をしたがる。
生きるためにおなかはへり、陽は西に沈み、ボタンを見れば押したくなる。

無為自然

老荘思想における中心的概念。作為を持たず、自然に任せることをいう。

老子』の第三十八章に「無為而無不為(無為にして為さざるは無し)」とあるように、「無為=何もしない」という意味ではない。

私はよく「大きな流れ」という言葉を使うけれど、これは「道理」というものではないかと思う。
不勉強な私がこのあたりの言葉を持ち出すことには自分で言ってて恥ずかしい気持ちになるが、そんな気がしている。
ああ、すぐに勉強しはじめないと、すごく回り道をしてしまう気がする。