考えない技術と考え続ける技術

自分には、物事をある一定以上考えないでおける技術がある。
それにより、多種多様でそれぞれ制約や関係者が多く、異なる案件を複数抱えても、皿回しを続けることができる。
少なくともそれをストレスに感じることはない。
各案件の大きな流れや、課題のポイントだけを見ているから、あとは適当でもなんとかなる。
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しかし、本当なら細部までこだわって詳細にみたいという欲求もあり、それをしないことについては不満というよりも不安があるというのが正直なところ。
一方、考え続ける技術とのバランスが重要というのも最近つとに思うところであり、今年の目標は明確にそこにおく。
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考え続ける技術なんてものは、単にツールであったりテクニックであったりのことであるので、学んで身につければよい。
そしていよいよ「考えぬく」ためには「考えぬく力」が必要となる。
「考えぬく力」を得るには「考え続ける技術」とともに「思考のスタミナ」が必要だ。
この「思考のスタミナ」については向こう10年くらいの目標になろうかと思う。
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自分の価値観は今どこにあるのか。最近のメモを拾ってみる。

(Jノート51巻070104)
で、そういった好きなことを通じて、人生で何がしたいのか?
どう死にたいのか?
そういうことなのかも知れない。
新しいことをしたいということと、
人の役に立ちたいということと、
世界をかえたいということ。
これらがこれまでもよくでてきている価値観の骨子のように思う。
これらをどういうレベルで満たしたいのか、
自分でもっともっと考えて考えて考えぬかなくては。
ここにも思考のスタミナは必要だ。

Jノートではそれまでから「思考のスタミナ」という言葉が使われていたことがわかる。
それだけ課題意識が高かった。
各論の仕事についても確かに考えぬくことが必要だと思うが、自分の価値観(生き方や働き方)についても考えぬこうと。
だから10年かかる。
考えぬくのは一生やめないのだけど、10年後も「自分の価値観を考えぬけない人」なのはいやだから。
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それは新しい価値を生んでいるか?
それは人の役に立っているか?
それはじんわりとしかし確実に世の中を変えているか?
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自分の取るひとつひとつの行動は必ずその先にある。